今回はセンシティブな内容の記事になります。
震災後の日本と自分。
以前のブログでも、この時期に毎年記事にしていましたが、なぜこのような記事を書くかというと、やはり東日本大震災の記憶は、自分の人生を大きく変えたきっかけになっており、そこにある人々の想いが自分の気持ちのやり場に困ることが多くなるこの時期を特別な日としているかもしれない。
二度と来ないホワイトデーだった人。
3月11日はホワイトデーが近く告白して返事待ちだった人もいるかもと思ったこともありました。
災害で家族を失う気持ち
僕は幸福にも災害で家族を失っていません。なので、気持ちはわからないですが、被災したくない。失いたくないという気持ちは持っています。単純に悲しいから。怖いから。寂しいから。可哀そうだから。苦しいから。などの言葉で表されるネガティブな表現が当てはまってしまう事が「想像」できるからです。
僕にできる事
震災後、募金や情報やボランティアなどいろいろなキーワードが飛び交っていました。誤情報や知り合いが住んでいるなどの身近な情報も含まれます。しかし、自分は何百キロも離れた土地で普通な生活を送れていることに「どこか危機感や他人事」のような距離を自然と感じてとっていたのかもしれないと思っています。でも初めて少ない手持ちのお金を募金してみたりしたことを覚えています。
と同時に「自分の無力さを感じた」きっかけでした。
誰かを助けられる力がほしい
人は自分に余裕がないと人を助けられない。
行動に移す「基準」はひとそれぞれの個人的な価値観で動きます。
要するに、1000円もっていたら100円募金する人もいますが、900円募金する人もいるという事です。
ただし借金して2000円にして募金する人もいるかもしれませんが、お金。に換算するだけではなく時間に換算して自分の時間をボランティアなどで「募金」する人がいると思うので、個人的な価値観の中で感じたことだと
僕には余裕がないお金がないから人を助けられない
そういう答えにいたった震災でした。
定期的に思い出すのは今の自分の幸福をもう一度感じることができるから。
当たり前だが、ご飯を食べて飲んで寝て愛する人の顔を見ていられるこの今の瞬間を感じることのできるのは、別の世界線の出来事があってそれがあまりに悲惨で、「自分だったらどうしよう」とリアルに感じたトラウマ的な出来事を感じたからだ。だからこの時期幸福を感じられるのはあの事がきっかけなので人生の盲目になるであろう事から現実を見させられているあの事を、、、
毎年音楽を表現することはできないので。
この記事で埋め込んでいるRADWINPSさんの曲たちはあの事がきっかけで生まれた曲ばかりです。体現することのできない一個人がこの記事を書いているので、紹介することしかできませんが素敵な曲ばかりです。僕も気持ちが押しつぶされそうな時やそうでないときに思い出したい時に聞きます。
まとめ
毎日何が起きるかわからない世界。
考え方ひとつで幸せにもなる世界。その逆もしかり。
この時期にセンシティブな記事を書いてしまうのですが、やはり人生は楽しんで生きましょう。
嫌なことも辛いこともいっぱいありますが、些細な幸せの集合体が人生なのだと思い込み。
楽しんでこの時代を生きましょうか(´ー`)