偽善者なのかな?

一人で旅にでたとき、一人でいられない事に気がついた。
どうも、しまです。
最近、多くの人と話す時間が増えました。
誰かと話すのは得意なほうではなかった僕ですが、
なぜか、人と話をしていると安心できたりします。
「頼ってくれている」
「必要としてくれている」
「おもしろい」
「安心する」
などと言ってくれます。
表面上の表現かもしれませんが、素直にうれしいです。
昔の僕なら、人と接するだけでネガティブに感じてしまっていたのかもしれません。
「表面上の付き合いで、どれだけ本音がいえるのだろうか?」と
思って過ごしていたのかもしれませんね。
人間の汚い部分だけを可視して、本質として「生きる」ということから遠ざけて考えていたのかもしれません。
最近、「生きる」という意味を、少し素直に考えるようにしました。
それは「欲求」という言葉がしっくり当てはまるので、僕はそう解釈しています。
物をほしがったり、
人と恋したり、
寝たり、
食べたり、
人から求められる人間になりたいなど、
それぞれが根源となる「生きる」という欲求のカテゴリとしてあるものだと感じます。
それに今の自分の「行動」と置き換えて考えた時、
誰かに認められたい。
社会的地位を満たす欲求なのか、それとも自己実現の欲求なのか?
ありがとうと言われる事が、自分を必要とされている「わかりやすい表現」だから、
その為だけに誰かと関わっているのか?
僕は意識して考えるとキリがない事と分かっていても、自分の中で理由付けをしなければ
「虚しさ」を感じてしまうから考えているように思います。
この文章になんの脈略もない、ただのつぶやきとして書き綴っているのは、
意味がないことは分かっていますので、行動そのものは「無意識」に近いものなのかもしれませんね。
誰かの為に動く理由を尋ねられたとき、僕は胸をはって言います。
「偽善と呼ばれる無意識の行動かもしれないけど、僕の周りの人には幸せになってほしいから」
楽しい、気持ちい、などの表情が僕にはうれしいことだから。
だから、悲しい、矛盾を抱えている人がいたら、少しでも分かりやすくして、
ポジティブに生きてほしいと思うから。
たまに、まじめに意味不明な文章を書くことは、
僕にとって、迷いがある時なのかもしれない。
シンプルに考えることの大切さが時には、難しい文章で説明しなければ理解されないように、
人間の根本にある本質は、日記や言葉の中では決して表現できないのかもしれない。
最後に
「ただ僕のまわりの幸せを考える「自己満」な行動・発言が人を傷つけない事を祈って・・・」
shima

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